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菊水の沿革

菊水の沿革

苦難の入植

明治4年戊辰戦争後、仙台藩白石領から藩士の一部(約600余人)が現在の白石中央と本通り付近に入植、その後も、各地から入植が相次ぎ、白石村が誕生しました。

この内、低地を割り当てられた藩士達が、水難から逃れる為に、豊平橋の東岸沿いに再移住し、明治6年に30戸の部落を形成し「上白石村」と命名されたのが菊水地区の始まりです。

この地に入植を決意した多くの人達は、新天地に望みを託しましたが、その後に控えていたのは、苦難の連続でした。しかし、人々はそれらの苦難を乗り越え、開拓に励み、現在の白石と繋がっていくのです。

特に、寒冷地での米づくりは無理と知りつつも、あきらめ切れずに試作を繰り返し挑戦、結局明治14年に初めて成功したが、その後も、干ばつ、イナゴの大発生、冷害・・・、更に数年を費やし、厳しい自然と闘いの連続であった様です。

明治22年に札幌‐江別間の道路が開通し、その翌年、豊平川に東橋が架けられると、札幌に最も近い便利な地域となり、白石本村を凌ぐ発展を遂げて来ました。

(菊水)地名の由来と住居表示

明治35年には、白石村に合併されて白石村大字上白石村となりましたが、明治43年に、現在の菊水1条1丁目~9条2丁目地区が札幌区に編入されました。

白石村全村が札幌市と合併したのは、昭和25年で札幌市と白石村全村の合併を期に、菊亭侯爵が寄留(住み着くこと)した地域であることから、この上白石村の地名を菊亭の「菊」と豊平川の「水」の字を取り、昭和29年、地名は「菊水」と改称されました。そして、豊平川沿いに西町、北町、上町、元町と命名され、数年後には南町、東町が追加命名されました。これにより、住所表示は、菊水○町○○丁目○○番地、と表示される様に成りました。

上白石の地名は現在も、「市立上白石小学校」や「上白石神社」の名前でその名残があります。

お馴染みの「菊亭脩季」侯爵(菊亭ユキスエ)は、北海道開拓の志に燃えて、明治11年22歳の時、叔父のいる北海道にわたり、29歳までの約7年間、開拓使や北海道農業管理事務取扱、札幌農業事務所副所長を歴任し農業振興に尽くされ、29歳で退職後、明治19年上白石村(菊水、菊水上町、菊水元町)で農場経営を始めました。当時の北海道毎日新聞に、「菊亭侯爵上白石の地に寄留」との記事が出ています。

しかし、ここでの農園経営は結局2~3年程度で切り上げ、叔父と一緒に雨竜農場の経営に参加するも、結局は不在地主だった様です。

現在の住居表示

札幌市は昭和47年に政令指定都市に制定されましたが、この翌年から現在の菊水○条○丁目○番○号に、上町は、菊水上町○条○丁目○番地と住居表示が変更になりました。

(菊水元町地区は平成19年米里地区に移行)現在はこの○町、△町の表示は出てきませんので、若い人達が町内でこの表示を見ると、不思議に思う様です。現在でも、菊水6条4丁目3-10にある『東町福祉会館』と一条橋から下ってきた所の、現「マックスバリュー菊水店」前の歩道橋に『西町歩道橋』の表示がありました。

現在の東町~上町の呼び名は、町内会や各団体の区分け、行政の区分け等にだけ、利用されている様です

菊水の沿革」「菊水の名所・旧跡」については、「白石区歴しるべ」を参考にさせて戴きました。

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